歴史 | 学校法人広島女学院 広島女学院ゲーンス幼稚園

APPROACH

歴史

広島女学院ゲーンス幼稚園には、2つの開園の物語があります。

1つ目は、1891年、ゲーンス先生の上に神様が
お働きになり誕生した幼稚園の物語。

2つ目は、戦禍が激しくなり休園を余儀なれ、
原爆によりすべてが焼失し、その17年後、
広瀬ハマコ先生の上に神様の働きがあり、
牛田山のふもとに再開園を果たした物語。

広島女学院ゲーンス幼稚園には、
2つの開園の物語があります。

1つ目は、1891年、ゲーンス先生の上に神様が
お働きになり誕生した幼稚園の物語。

2つ目は、戦禍が激しくなり休園を余儀なれ、
原爆によりすべてが焼失し、その17年後、
広瀬ハマコ先生の上に神様の働きがあり、
牛田山のふもとに再開園を果たした物語。

  • 1886(明治19)年

    広島女学院はアメリカ帰りの砂本貞吉牧師により、ランバス宣教師父子の援助で開校した。その翌年、ミス・N・B・ゲーンスが来日し、校長に就任した。

  • 1891(明治24)年

    ミス・M・クックにより、フレーベルの幼児教育を児童中心主義の立場から再構築し、子どもの主体的な活動を重視する進歩主義の教育を実践した。卒園生(卒業ではなく)は、1600名を越える。

  • 1904(明治37)年

    ス・M・クックがコロンビア大学の進歩主義の教育を実践した。
    卒業生は戦前1600名を出した。

  • 1945(昭和20)年

    原爆により全てを焼失し、17年間も休園を余儀なくされた。同時に小学校も休校したが、再開校することなく現在に至る。

  • 1962(昭和37)年

    戦後、牛田山の麓に移転していた大学校地の一画に、当時の院長広瀬ハマコを園長に、「広島女学院ゲーンス幼稚園」と改名し再開園した。

  • 1982(昭和57)年

    当時幼稚園主事の戸波和子が園長になり、 常に幼な子の視座に立って考える幼児教育の姿勢を示した。。

  • 1994(平成6)年

    牛田校地内、大学グラウンドの一角の現在地に新築移転した。  同時に鈴木道子主事が園長に就任し、自然環境の充実をはかり、 2003年(平成15)年度全国学校ビオトープ・コンクールにおいて 文部科学大臣賞を受賞した。

  • 2005(平成17)年

    菊野秀樹が園長に就任し 保育室を増設し、一クラスあたりの少人数化を図り ゆとりある保育実践を目指した。 また、未就園児の親子クラス“たんぽぽ広場”の活動内容を充実させ 地域の子育て支援活動にも取り組んできた。

  • 2013(平成25)年

    高田憲治が園長に就任し現在に至る。園児数は現在、3歳児3クラス、4歳児3クラス、5歳児3クラス、計9クラス、200名である。園庭に隣接する大学キャンパスの“ぼうけんのもり”や、牛田山の裾野の谷あいをも遊び場として活用し、その活動を支える人的ネットワークも拡充させ、「ひろしま自然保育認証制度」の第1回認定園となって、伸びやかな保育活動を展開させている。